貴重図書・特別文庫
貴重図書の紹介
特別文庫の紹介
当館所蔵の貴重図書
『志濃夫廼舎歌集』(しのぶのやかしゅう)

明治11(1878)年8月、幕末の歌人・橘曙覧の遺稿集として、長男・井手今滋によって刊行されました。曙覧生前の自撰歌を中心に860首が収録されており、有名な「たのしみは…」で始まる独楽吟も収められています。曙覧は生前には歌集を出せませんでしたが、この歌集によって多くの文学者たちの評価を得るところとなり、その名は全国に広まりました。1994年、天皇皇后両陛下訪米の際、歓迎式典でビル・クリントン大統領(当時)のスピーチに、曙覧の歌が引用されたことは有名です。当館所蔵本は与謝野礼厳から息子で歌人の与謝野鉄幹(寛)に引き継がれたもので、鉄幹の妻・与謝野晶子の蔵書印も押されています。
水島直文・橋本政宣/編注『橘曙覧全歌集(岩波文庫)』(1999年、岩波書店)、辻森秀英/増補『新修 橘曙覧全集』(1983年、桜楓社)などで、全文を読むことができます。
『解體新書』(かいたいしんしょ)

安永3(1774)年8月、小浜藩医の杉田玄白、中川淳庵らが、オランダ語で書かれた解剖図譜『ターヘル・アナトミア』(著者はドイツ人クルムス)を翻訳し、出版したものです。本文4巻は全文が漢文で書かれており、別に序文と解剖図とを載せる序図の巻があります。5巻とも揃った安永の初版本は珍しく、小浜市立図書館や国立国会図書館など十数機関にしか所蔵されていません。『解体新書』の出版は、医学の近代化への足がかりとなっただけでなく、蘭学・洋学興隆のきっかけにもなり、日本文化史上において重要な意義を持つものと位置付けられています。
酒井シヅ『解体新書・全現代語訳(講談社学術文庫)』で、全文を読むことができます。
『撮要新聞』(さつようしんぶん)

明治5(1872)年8月に発刊された福井県で初めての新聞。旧福井藩士の富田厚積が足羽県権大属学校掛の公務の傍ら執筆したもので、月に2回、定価銅銭30枚で、足羽県新聞会社から刊行されました。明治6年1月、足羽県が敦賀県に吸収合併されると、発行所は足羽郡新聞会社と名前を変えましたが、同年3月に刊行された第11号を最後に廃刊となりました。当館ではこのうち第3号から第11号までを合冊したものを所蔵しています。半紙二つ折りの冊子形式で、内容は上意下達・勧善懲悪・文明開化を進める県の広報的なものであり、「新聞」と名がつくものの現代の新聞とは少し性格を異にしています。文明開化に伴う風俗の諸問題や、廃仏毀釈・越前大野護法一揆に関する記事など、福井県近代史研究の基本史料の一つに数えられています。
『福井県関係新聞15(マイクロフィルム)』(福井県立図書館作成)、青木隆『撮要新聞(1、2号のみ)』(1968年、えちぜん豆本の会)で読むことができます。
『若越寳鑑』(じゃくえつほうかん)

明治32(1899)年、日本名蹟図誌の第5編として名古屋光彰館から刊行された全3冊の地誌。編者の渡辺市太郎(豊陽)は、愛知県出身で刊行当時は京都に在住していました。郡ごとに名所旧蹟を記し、別に「社寺の部」を立てて神社仏閣の縁起と俯瞰図を載せています。本文は『越前国古今名蹟考』や『敦賀十勝』『若狭国志』など先行する地誌に基づいて書かれており、俯瞰図は実際に渡辺がその地を訪れて描いたものです。細密な銅版画による寺社の俯瞰図は、19世紀末当時の寺社の様子を今に伝える貴重な資料として、後に様々な郷土誌に引用されています。当館所蔵本は、郷土史家の山下與平が旧蔵していたもので、大正14年に元からの表紙が破損したために、新しい表紙に付け替えられことが記されている。
『若越宝鑑(全)(復刻版)』(1973年、歴史図書社)が出されています。
『一乗録』(いちじょうろく)

平成12年に新発見された朝倉氏に関する軍記。作者は不詳ですが、徳川家康を東照公と呼んでいることなどから、江戸時代中頃に書かれたと考えられています。朝倉氏の軍記としては『朝倉始末記』や『越州軍記』、『朝倉家録』などが知られていますが、『一乗録』はこれらのどれとも異なります。全三冊からなり、第一冊は朝倉氏の歴史、第二冊は朝倉家家臣の列伝、第三冊は越前一向一揆について書かれています。特に第二冊巻四の家臣列伝の記述が、従来の軍記にはなかったものとして評価されています。これまでは名前だけが知られており、所在が不明であったことから、平成13年7月10日の福井新聞では「幻の軍記」として一面で大きく取りあげられました。
まだ全文の翻刻はありませんが、当館では複製版を作成し、利用に供しています。また『一乗谷朝倉氏遺跡資料館紀要2001』(2002年、朝倉氏遺跡資料館)には第二冊巻四のみ活字翻刻が載せられています。
『福井城舊景』(ふくいじょうきゅうけい)

昭和2(1927)年、郷土史家・山下與平によって書写された画集。原本は旧福井藩士大越家に伝わっていたもので、現在は福井市立郷土歴史博物館に収蔵されています。画は全部で25図あり、幕末頃の福井城下の様子が描かれています。福井城の門周辺の画が多いのですが、九十九橋や御本城橋、片町近辺なども描かれています。また画には、登城途中の家臣や、天秤棒を担いで物を売り歩く商人、川舟で足羽川を往来する人々の様子なども描きこまれており興味が尽きません。書写者の山下與平(與兵衛)は、福井市足羽上町(現足羽一丁目)で蚊帳などの麻製品を商う傍ら、山下文庫を主催して郷土人の書画を収集し、『越人遺墨写真帖』『明治天皇北陸御巡幸福井県誌』『北荘城主堀秀政』などの郷土誌を発行しました。
『写真で見る順化地区史』(ふるさとおこし順化地区委員会、1991年)にカラー図版と解説が、『福井城の旧景(福井藩史話付録)』(歴史図書社、1975年)には全図のモノクロ図版が掲載されています。
『敦賀十勝』(つるがじっしょう)

明治7(1874)年、敦賀で出版された詩画集。編者は敦賀真願寺の住職・益田伸藝、版画は敦賀の画家・内海元紀。明治天皇の北陸巡幸が決まった際、敦賀の歴史や風物を紹介する目的で発行が企画されたもので、石塚資元の地誌『敦賀志』から10の名勝が選ばれ、風景に和歌・漢詩・由緒・故事が添えられています。昭和53年1月、福井新聞で「幻の画集 敦賀十勝」として紹介されたように、現存する数は極めて少ない幻の書です。絹表紙の豪華版と普及版とがあるようですが、本館所蔵本は普及版です。画を描いた内海元紀は三代続く日本画の家の二代目で、父は円山応挙に師事したとされる元孝、子は南宋画の福井三堂の一人に数えられる吉堂です。
白崎明・監修解説『敦賀十勝 内海元紀版画集』(ギャラリーふくだ、1978年)、大阪ガス敦賀事務所・編『敦賀十勝 明治の風景』(大阪ガス敦賀事務所、1998年)に、カラー図版が掲載されています。
『若州良民伝』(じゃくしゅうりょうみんでん)

小浜藩士・塩野伯篤が、九代藩主・酒井忠貫の命により、藩内の孝子・節婦・良民など約60名の善行・伝記を集めて収録したものです。安永9(1780)年に完成し、翌天明元年に京都で出版されました。寛政元(1789)年の幕府の命により全国各地から孝行・忠義・潔白・農業出精などの事例が集められ、『官刻孝義録』が刊行されたのが享和元(1801)年。『若州良民伝』は『官刻孝義録』より20年も早く出版されたことになります。巻之二に収められている綱(綱女)は、奉公先の幼子を狂犬からかばって救ったために自らは命を落とした忠義の女性として、戦前は修身の教科書にも載せられるほど有名でした。小浜市には今も「忠烈綱女之碑」が建っています。
『小浜市史 史料編1』(小浜市役所、1971年)、『若州良民伝』(若狭路文化研究会、2004年)に全文の翻刻が掲載されています。
『若州雲M八景』(じゃくしゅううんぴんはっけい)

正徳4(1714)年か5年に、小浜で刊行された詩画集。小浜町民の桑村丈之進が、主に京都在住の貴族・武士・僧侶・文人に詩歌を求めて編集し、素海がその詩歌を浄書、風翠が絵を描いたものです。もともと八景は、中国湖南省の瀟湘八景に始まるとされていますが、日本では滋賀県の近江八景、神奈川県の金沢八景が有名です。雲浜八景には小浜城近辺の後瀬山、青井山、津田の入江、両児島(双児島)、雲浜城(小浜城)、蒼島、久須夜ヶ岳、多太神社が選ばれています。本書は広く世に流布したらしく、幾つかの書籍に引用されていますが、小浜を襲った数度の大火により、現存するものは数点となってしまいました。
『小浜市史 史料編第1巻』(1971年、小浜市役所)で内容を読むことができます。
『若狹國志』(わかさこくし)

小浜藩の儒学者・稲庭正義が、六代藩主・酒井忠存の命により編纂した若狭国の地誌(地理書)です。完成したのは寛延2(1749)年。若狭国三郡(遠敷郡、大飯郡、三方郡)について、郷名や村名、山川などの地名をあげ、その由来や伝承を記しています。他にも名産品や神社仏閣、ゆかりの人物の伝記などを載せられており、内容は先行する『若狭郡県志』の記載に近く、オリジナリティに乏しいとの指摘もありますが、独自の記述も見られます。写本は、国立国会図書館や小浜市立図書館酒井家文庫など数多く残存していますが、それぞれの内容上の差異は少ないとされています。当館所蔵の写本は五巻二冊からなりますが、誰がいつごろ書写したものかは不明です。
『小浜市史 史料編1』(小浜市役所、1971年)、『越前若狭地誌叢書 続巻』(松見文庫、1977年)に全文の翻刻が掲載されています。
特別文庫の紹介
松平文庫(まつだいらぶんこ)
寄託資料。松平宗紀氏所蔵。
当文庫は越前国福井藩主松平家に伝来した福井藩関係の古文書および書籍等約1万点からなっています。このうち福井藩関係の古文書は『松平文庫福井藩史料目録』(福井県立図書館、1989年)として、また国書漢籍は『松平文庫目録』(福井県立図書館、1968年)として目録化されており、当館ホームページの「
貴重資料データベース」でも検索・閲覧することができます。
また、松平文庫の福井藩史料のうち主要なものについては複製版を作成し、当館内での利用に供しています。
松平文庫についての詳細はこちらをご覧ください。
越知神社文書(おちじんじゃもんじょ)
寄託資料。大谷義鷹氏所蔵。
越知神社は神仏分離以前は越知山三所権現と呼ばれ、泰澄大師開基と伝えられる白山信仰の山岳霊場でした(現朝日町)。大谷家は、現在は越知神社神主の家ですが、明治の神仏分離以前は三所権現を祭る別当・大谷寺大長院の院主をつとめる家でした。本文書はこの大谷寺に伝わってきた中世以来明治期までの約150点の文書からなっており、越前における白山信仰を研究する上で重要な史料として評価されています。
『福井県史 資料編5』(福井県、1985年)に「越知神社文書」として81点の翻刻が、『白山史料集』(石川県図書館協会、1987年)に「越知神社所蔵史料」として96点の翻刻が、『朝日町誌 資料編2』(朝日町、1998年)に「越知神社関係文書」として本文書のほぼ全点の翻刻が掲載されています。
千穐鶴兵衛家文書(せんしゅうかくべえけもんじょ)
寄託資料。千秋勝稔氏所蔵。
千秋家は乙坂村(現朝日町)庄屋や鯖江藩乙坂組大庄屋をつとめた旧家で、代々覚兵衛・鶴兵衛を称しました。当家文書には、千秋家が大庄屋になった江戸時代後半から明治大正期までの3000点を超える文書が含まれており、特に大庄屋関係や地主経営に関する文書が豊富です。
『福井県史 資料編5』(福井県、1985年)に「千秋勝稔家文書」として11点の翻刻が、『朝日町誌 資料編1』(朝日町役場、1995年)に「千秋鶴兵衛家文書」として2点の翻刻が、『朝日町誌 資料編3』(朝日町役場、1999年)に「千秋鶴兵衛家文書」として41点の翻刻が掲載されています。
八木家文書(やぎけもんじょ)
寄託資料。平林章宏氏所蔵。
八木家は、福井藩に仕えた中級武士の家で、留守者頭、先物頭などをつとめました。また、福井藩最初の海外留学生として著名な日下部太郎は、第六代当主八木睦信の長男にあたります。当家文書には、系図や宛行状、兵法伝授書などの近世資料と、明治に入ってからの卒業証書、辞令など約100点からなっています。
『福井市史 資料編4』(福井市、1988年)に「八木家文書」として7点の翻刻が掲載されています。
山森助左衛門家文書(やまもりすけざえもんけもんじょ)
寄託資料。山森達雄氏所蔵。
山森家は岡野村(現鯖江市)の庄屋をつとめた旧家で、代々助佐衛門と称しました。当家文書には、鳥羽野開発に伴う文書や長久寺関係の文書が含まれ、数は約600点を超えます。
『福井県史 資料編5』(福井県、1985年)に「山森助左衛門家文書」として11点の翻刻が、『鯖江市史 史料編第三巻』(鯖江市役所、1988年)に「山森達雄家文書」として4点の翻刻が掲載されています。
神尾ひがし家文書(かみおひがしけもんじょ)
寄託資料。神尾義邦氏所蔵。
神尾家は坂井郡宮谷村(現あわら市)で庄屋をつとめた旧家で、代々弥五右衛門を称しました。明治には戸長もつとめており、近世・近代の村方の文書や儒教関係の書籍等からなっています。
波寄区有文書(なみよせくゆうもんじょ)
寄託資料。福井市波寄自治会所蔵。
坂井郡波寄村(現福井市)に伝来した文書です。波寄村は、九頭竜川沿いに位置していたため、排水不良に悩まされていましたが、当文書にも排水をめぐる文書が多く含まれています。
小泉家所蔵資料(こいずみけしょぞうしりょう)
寄託資料。小泉勝広氏所蔵。
明治・大正期の新聞(『福井新聞』や『若越自由新聞』など)、明治期の『福井県令達類聚』などをおさめています。
マイクロフィルムで閲覧することができます。
嵯峨家所蔵資料(さがけしょぞうしりょう)
寄託資料。嵯峨清喜氏所蔵。
昭和41年、嵯峨英助氏より寄託を受けました。大正から昭和初期にかけての『大坂毎日新聞』と明治30年代の『若越自由新聞』等の地方新聞からなります。
マイクロフィルムで閲覧することができます。
森家文書(もりけもんじょ)
当館所蔵資料(昭和52年より)。
森家は、北陸街道の宿駅・坂井郡細呂木村(現あわら市)で本陣と問屋「あたらしや」をつとめた旧家で、第十代の当主は庄屋・村役人もつとめました。当家文書は、約270点の冊子文書と約460点の一紙文書とからなり、近世の加賀越前国境地帯における交通史、経済史を知る上で貴重な史料となっています。
目録として『石倉家・森家文書目録』(福井県立図書館、1980年)が発行されており、『福井県史 資料編4』(福井県、1984年)には「森藤右衛門家文書」として23点の翻刻が掲載されています。
石倉家文書(いしくらけもんじょ)
当館所蔵資料(昭和46年より)。
石倉家は、北陸街道の宿駅の一つ南条郡鯖波村(現南越前町)で本陣をつとめ、問屋や村役人を兼任した旧家で、代々猪右衛門を称しました。約2000点を超える近世文書には、南越地方の交通や経済に関する文書が豊富に含まれており、森家文書とならんで近世交通史・経済史の重要な史料となっています。
目録として『石倉家・森家文書目録』(福井県立図書館、1980年)が発行されており、『福井県史 資料編6』(福井県、1987年)には「石倉家文書」として22点の翻刻が掲載されています。
坪川家文書(つぼかわけもんじょ)
当館所蔵資料。昭和40年、坪川武雄氏より寄贈を受けました。
坪川家は足羽郡種池村(現福井市)で庄屋をつとめた旧家です。庄屋役に関する文書を中心とした18世紀半ばから幕末までの文書約300点および明治期以降の文書約450点からなっています。
『福井市史 資料編9』(福井市、1994年)に「坪川家文書」として5点の翻刻が掲載されています。また、近世文書の目録は『坪川家文書目録』(福井県立図書館、1983年)で見ることができます。
布川正沖・正輔文庫(ぬのかわまさおき・まさすけぶんこ)
当館所蔵資料。平成11年、布川學氏より寄贈を受けました。
布川家(通称・東布川家)は、大野藩屈指の名家で大野町七間通り(現大野市)で酒造業を営んでいました。本文庫は、東布川家第8代当主で国学を学び和歌にも優れた正沖(まさおき)および第9代当主で県会議員、大野町長を歴任した正輔(まさすけ)の蔵書約240タイトルからなっています。
布川正沖・正輔文庫の詳細はこちら をご覧ください。
三田村保正採択・県内有名在銘押形集(刀剣)(みたむらやすまささいたくけんないゆうめいざいめいおしがたしゅう)
当館所蔵資料。平成15年、井上洋子氏より寄贈を受けました。
郷土史家・刀剣研究家の三田村保正氏が、県内神社に所蔵される刀剣の押形を採択したもので、国の重要文化財に指定されている藤島神社蔵(福井市)「則重太刀」や県指定文化財の三国神社蔵(三国町)「守次太刀」の押形14点からなります。
これら刀剣の大部分は、福井県立博物館編『越前ゆかりの名刀』(日本美術刀剣保存協会福井支部、1988年)に紹介されています。
則武三雄文庫(のりたけかずおぶんこ)
当館所蔵資料。平成20年、則武継雄氏より寄贈を受けました。
戦後福井文学界の先駆者として、大きな業績を残した詩人・則武三雄。地方主義を提唱し、文学拠点である北荘文庫の創設主宰など、多くの後進の育成に貢献し、今日の福井文学王国の礎を築きました。
本文庫は、則武の直筆原稿、蔵書、愛用品など約1,600点からなっています。
則武三雄文庫の詳細はこちら をご覧ください。




























































