白川文字学の室へようこそ!!
白川文字学の室(しらかわもじがくのへや)へようこそ!!
白川文字学(しらかわもじがく)ってなあに?福井県出身の故白川静先生が研究・発表した、漢字や文字に関する、これまでとちがった新しい考え方のことをこう呼びます。 |
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白川静(しらかわしずか)先生ってどんな人?
白川先生は、1910(明治43)年4月9日に福井県福井市に生まれ、佐佳枝神社(さかえじんじゃ)の参道あたりに住んでいました。現在は、その跡地に記念碑が建てられ、記念碑の正面には白川先生がもっとも好んだ「ゆう遊」の古代文字がきざまれています。(今のワシントンホテル近く、フェニックス通りぞいの歩道)。
順化尋常小学校(じゅんかじんじょうしょうがっこう)(今の順化小学校)を卒業したあと、大阪に出て、働きながら夜間の学校で勉強しました。
立命館(りつめいかん)中学の先生になったあとも勉強をつづけ、立命館大学法文学部漢文学科(りつめいかんだいがくほうぶんがくぶかんぶんがっか)を卒業したあとは、立命館大学の先生となり、1954(昭和29)年には文学部の教授になりました。定年退職したあとも大学で研究をつづけ、1981(昭和56)年には名誉教授となりました。
その後に完成させた、60年以上にわたる漢字・文字文化の研究のすべてをまとめた本『じとう字統』『じくん字訓』『じつう字通』は、字書三部作といわれ、白川先生の代表的な著書となりました。
2004(平成16)年には、こうした長年の大変熱心な研究が認められ、文化勲章を受章されました。
なお、2002(平成14)年には福井県県民賞を受賞、2005(平成17)年には福井市名誉市民となりました。
そのご後も講演会とうをつづけるなど、熱意のこもったお話しぶりが印象的でしたが、2006(平成18)年10月30日に、96さいで亡くなりました。
白川静(しらかわしずか)先生の大発見!
今から約1,900年前の西暦100年に、中国の後漢時代の学者、許慎(きょしん)が『説文解字(せつもんかいじ)』をつくりました。『説文解字』とは、その頃使われていた漢字のなりたちや意味を記した字書であり、その考え方は、今に至るまで長い間信じられてきました。
しかし、許慎が知らなかった漢字の世界がその前の時代にあったのです。
「甲骨文字(こうこつもじ)」という漢字のもとといわれる古代文字が発見されたのは1899年、青銅器に見られる「金文(きんぶん)」という文章も、続いて数多く発見されました。
そこで、白川先生は、見つかった「甲骨文字」が書かれた資料をすべて書き写す(トレース)という地道な作業を通して古代文字の形を研究し、そこに何が書かれているのか、どのように使っていたのかなど、意味や使い方を調べ、許慎の考え方の中に誤りがあることに気づきました。
そして、許慎の『説文解字』とはちがった考えを発表しました。白川先生が発表した、漢字についての新しい考え方は「白川文字学」とよばれ、漢字を研究する人たちを驚かせました。
「白川文字学」のとくちょうとは?
漢字はどのようにして生まれ、どのような意味をもっていたのでしょうか。
「白川文字学」では、中国の古代の人々のくらしやものの考え方から、漢字が形づくられてきたことがわかります。
特に、「告」などに見られる、『口』の部分のとらえ方が大きな特徴です。白川先生は、『口』を、顔にある「口・くち」ではなく、神さまにささげる祝詞(のりと=願いごとを書いた文)を入れる器「
・さい」と考えたのです。
このこととあわせて、それぞれの漢字にはつながりがあり、いくつかの仲間に分けられることに気がつきました。





























































